大津絵最初期から存在する仏画です。 光輪はコンパス、光条は定規で描かれていますが、色紙のように小さな紙に描く場合は光条をフリーハンドで引くこともあります。 寛政9年(1797)刊行の『東海道名所図会』にも、ちらっとこの図が登場しており、「鬼の寒念仏」や「藤娘」などの世俗・諷刺画が流行した後も、このような簡素な仏画が描き継がれていたことが分かります。 元来は、この図は泥絵の二枚綴り(半紙二枚分)の縦長の紙に描かれ、周りを墨で枠取りした“描き表装”に仕立て、簡易の掛軸として販売されていました。 上の図では右に道歌が添えてありますが、これは文化文政以降、江戸後半の趣向です。 「土や木や石や金にてつくるより 仏につくれ人の心を」 |