脇侍のいない「阿弥陀仏」と同じく、大津絵最初期から存在する画題です。 臨終の際、浄土へ導くため訪れる阿弥陀仏の姿を描いています。 初期は細部も豊富で、より多彩な配色がなされていましたが、画像のタイプのものは江戸後半の一枚版になり、より簡略化された時のものです。 三尊の衣は全て金泥で塗られ、光背はコンパス(分廻し)、脇の勢至・観音の両菩薩の顔は版木押しで処理されています。 それらの特徴と、大胆な描線が相まって、大津絵ならではの仏画として人気を保ち、現代まで描き継がれてきました。 文化文政頃に、道歌入り大津絵が流行すると、この図にも様々な歌が添えられるようになります。 上の画像にも、その内の2種の道歌を添えています。 「土や木や石や金にてつくるより 仏につくれ人の心を」 「大津絵の弥陀も心のかけどころ かけどころこそ一大事なれ」 大津絵の画種を10に絞って護符化した幕末の頃を除いて、この三尊来迎図や一尊(阿弥陀仏)の図が描かれなかった時期はありません。 阿弥陀仏がいかに広く、深く大衆の信仰を集めていたかが伺えます。 |