八幡神は大和朝廷の時代から信仰されている古い神様ですが、早くに神仏習合し、奈良時代には“八幡大菩薩”の神号が与えられています。 この神様が広く信仰を集めるようになったのは、もっぱら源氏の氏神とされ、武神として祀られたためです。 武神としての信仰は明治以降も続き、特攻機の基地には「南無八幡大菩薩」の幟(のぼり)が立てられていたのを、記録映像や映画などでご存知の方も多いと思います。 大津絵の『馬上八幡』も武神としての八幡大菩薩を描いたもので、白馬に乗り、手に弓を持つのはその表れです。 現存する古い大津絵は少ないのですが、それなりの数は描かれたようで、細部を変えたバリエーションがいくつか存在します。 上図のものは、色味や描き込みを抑えた江戸初期〜中期の量産時のスタイルです。 |