江戸時代に描かれたこの大津絵は、現存するものが一点しかなく、永らく「一休と地獄太夫」の名で呼ばれてきました。 苦界に身を落とした自らを“地獄”と称する太夫、その太夫に会いに来た風狂の禅師・一休の図です。 日本画家にも好まれた題材で、二人は次のような歌を詠み交わしたという逸話が伝わっています。 一休 「聞きしより見てうつくしき地獄かな」 地獄太夫 「生きくる人の落ちざらめやも」 即座に下の句を継いだ太夫の見識に、一休は大いに感心したそうです。 ところが、近年の研究によると、この図は一休ではなく達磨大師を描いたものともされています。 江戸中頃に流行った図柄の一つに、「達磨と遊女」というものがあり、お互いの衣装を取り違えた姿で両者を描いたものでした。 確かにこの図でも、禅僧が女物の着物を、遊女が僧衣を纏っています。 「達磨と遊女」の画意ははっきりしないのですが、大津絵特有の痛烈な諷刺画とも取れます。 最初の描き手の意図は今となっては知り得る術もなく、残念なところですが、その奇天烈な構図は当初のインパクトを失っておらず、消えることなく現代も描き継がれています。 |